浜辺のゾウムシ

31. viii. 2004
1. ii. 2008 加筆


ハマベゾウの浜

 2003年に京都府宮津市の天橋立でハマベゾウが採れたという話を聞きました.採ったことのない虫です.この虫が砂浜に打ち上げられたアマモの下にいるという事は知っていたのですが,生息環境の条件がなかなか厳しいようです.想像がつくだけでも,適度な粗さの砂浜があり,アマモが供給される事が必要でしょう.じっさい,そんなにどの浜でも居る虫ではないのです.でも,居るところにはいっぱいいるようで,産地は採集者の間では有名です.居なくなったのもすぐ分かり,県別レッドデータブックにもよくリストアップされています.
 古くはタイプロカリティーである三重県津市の「阿漕ヶ浦」でよく採れていたそうです.「あこぎがうら」とはまたアコギな地名…と,思ったら,実は「アコギな」の由来は「阿漕ヶ浦」だそうです.「悪欺な/アクギな」とかかなぁと勝手に思い込んでたのは見当はずれでした.阿漕ヶ浦は伊勢神宮の定めた禁漁区なのに,えげつなく密漁する,これが「アコギな」のモデルケースです.「阿漕ヶ浦」は,いわば「アコギな」のタイプロカリティー.



ハマベゾウムシ

 ハマベゾウムシは Chujo & Voss (1960) により新属新種 Isonycholips gotoi として命名記載されたのですが,その時に用いられた標本は三重県津市阿漕ヶ浦(35exs.)と同じく津市のどこか(5exs.)と愛知県内海町(10exs.)から,合計三ヶ所(二ヶ所かも)からの50個体です.伊勢湾岸限定でしたが,採れるときにはたくさん採れ,最初から採れ方も分かっていたわけです.
 北隆館の図鑑(1963)にも掲載されていますが,筆者の場合は別の本での印象が強く残っています.1970年代に一世を風靡した保育社の『カラーブックス』というビジュアル系文庫本のシリーズがあり,その姉妹集『カラー自然ガイド』に佐藤正孝著「昆虫の世界」(1974)というのがありました.昆虫の世界を多角的に紹介したユニークな本で,中高生でも買える値段でした.
 これにはゾウムシの話題が多く,フィリピンのカタゾウ採集記が載っていて,その最後に八重山のクロカタゾウと与那国のヨナグニアカアシカタゾウの事が出ていました.環境別に代表的な昆虫を紹介する章では室内のコクゾウ,湿地のイネゾウはもちろん,高山帯のキソヤマゾウとヌタッカゾウ,地下のオチバゾウ,そして浜辺のハマベゾウと「こんなゾウムシがいるのかぁ」と思う種が盛り込まれていたのです.いま奥付を見ると初版で買っています.印象に残るはずですわ.まぁこうしてハマベゾウはずっと気になる虫ではありましたが,わざわざ採りに行くこともなく,結局まだ採ったことがなかったわけです.
 ハマベゾウについて,近年では愛知県豊橋市でコンスタントに採れるという話が流れていました.JWIN(日本のゾウムシ屋の集り)ニュースレターの採集記(吉武,2002)にも紹介されていました.その場へ行けば簡単に確実に採れるようです.2003年10月に現地の某氏に詳しく教えていただいたところ,6月頃がよく,有難いことに都合が合えば案内して下さるとの事.

ふふふ.もう採ったも同然.

来年は豊橋に行こうと思っているところへ天橋立情報です.


天橋立と海草アマモ

 京都府宮津市の天橋立での発見も2003年の事で,関西甲虫サロン(毎月一回,梅田の某喫茶店を1フロア占拠して行われる)で話題にのぼったらしく,これも間接的に耳にするようになりました.期待の耳で聞いて,総合すると;

ついでにちょっとめくってみたら居たので
”とりあえず念のため数匹だけキープした”らしい.
つまり,いっぱいたらしい.

とかいう,すぐにでも採りに行きたくなる状況が,頭の中に再構成されました.点火というか着火というか.

 安芸宮島,陸前松島とならぶ日本三景の一つ,天橋立は丹後宮津にあります.筆者が住んでいる神戸市北区からは車で行くと案外近いところです.というか,道路が次々と開通して,どんどん近くなったところです.舞鶴若狭自動車道から京都縦貫自動車道に入って,終点の宮津天橋立IC.なるところで出れば,あとは宮津市内を抜けてすぐ到着です.採集意欲が着火してしまってるので;

そんなにうじゃうじゃ居るのなら
残骸か破片くらいは…

そう思って,12月の中旬に行ってみました.確かに大量のアマモが漂着しており,波打ち際近くにも,かなり離れたところや林縁にも堆積していました.

 アマモは砂泥の海底に生えるアマモ科の多年草です.文献によってはヒルムシロ科になっていることもあります.海中に生えていますが海藻ではなく,いっぱしの単子葉植物でちゃんと花が咲くそうです.「鯨は魚ではない!」みたいな理屈で,「アマモは海藻ではなく海草!」ということです.
 アマモには別名として「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」という長い和名があり,これが本邦植物界最長の和名であるという,妙な事でも知られています.21文字です.われらが「オガサワラチビヒョウタンヒゲナガゾウムシ」は20字で一文字およびません.格助詞「ノ」は反則ではないかと思うのですが,「マツノ〜」とかは虫でも付けてますからね.
 アマモが生えた海底は「アマモ場」と呼ばれ,様々な動物の繁殖場となっています.豊かな海中動物相の基盤なのです.しかしアマモ場は減っており,保護育成が叫ばれている状況です.京都府のレッドデータブックではアマモは「絶滅危惧種」になっています.アマモ場の保護は自然保護というより,漁業資源確保という産業的側面もあるので「アマモ場再生」の技術とか事業は金のなる木,金のなる海草のようでうす(ほとんど受け売り).
 陸上側から見ると,浜に打ち上げられ,風で絡まっている5〜8mm幅のテープ状の物体,それがアマモです.アマモの生態に詳しいサイトをのぞくと,当然のことながらちゃんと落葉の時期があるそうで,その時期には浜はアマモだらけになるわけです.打ち上げられたアマモの落葉は黒褐色に半腐れになっていたり,ただの淡褐色だったり,乾燥して真っ白くなっていたりしていて,グシャグシャのヘロヘロです.それでもテープ状を保っています.新鮮なやつはニラっぽいです.葉以外に地下茎の破片なども打ちあがっているようです.観光資源的にはきっちゃないゴミでしょうね.お金があったら,集めて焼かれてしまうのです.



天橋立付近の地形

 3キロにおよぶ天橋立の砂嘴は北東から南西へ伸びていて,その西側が内海の「阿蘇海」,東側が日本海につながる「宮津湾」です.砂嘴の先端つまり南西端に水路が開いています.観光ルート的には(虫採りルート的にも)この水路を「小天橋」と「大天橋」で跨いで砂嘴の先に到達します.砂浜が発達し,アマモの漂着が見られるのは砂嘴の東南岸,宮津湾側です.
 宮津湾には大手川の河口がありますが,この川は大江山北麓から湾にそそぐ10kmほどの短いものです.宮津湾の東隣には栗田(くんだ)湾があり,その東側に由良川の河口があります.天橋立の砂もアマモ場の砂泥も主に由良川が運んでくるのでしょう.いろんなものの微妙な組み合わせで成り立っている感じです.

 さて,天橋立をうろついてみると,期待どおりアマモは大量に漂着していました.というか色んな状況がありすぎてポイントがしぼれないくらいです.堆積している場所や,乾き具合や腐り具合,古さの違うアマモをいろいろ試してみました.堆積物そのものをほぐしてみたり,下の砂を掘って篩ってみたり.場所も転々とし… しかし4時間やって結局,何も出ませんでした.空想(上記)ほど居るのなら翅鞘の一枚くらい出そうなものなのに.トホホ〜
 林縁の一角に残っていたハマヒルガオの下の砂を掘ってスナムグリヒョウタンゾウムシが出たのがこの日のわずかな収穫でした.


上空に注意

 その後,またまた虫屋の集まりの際に,実際に採った方に伺うと,6月のマツノマダラカミキリの薬剤散布のあとの調査の際だったとの事でした.大量に居たかどうかは,はっきりしませんでした.でも6月にまた行く決意.

 5月の終わり頃になると,一般のニュースで;

「天橋立でラジコンヘリによる薬剤散布はじまる」

と報じていました.ほほぅ,これかぁ.
 次の休日(6/6)にさっそく出撃.宮津市内で弁当を買って,昼前に到着.前回より便利な駐車場を選んで停め,まず腹ごしらえと,海面を行き交う奇妙な形の観光船を眺めながらマツの木の下で弁当を食べていると…

鳶に油揚げさらわれる

を,体験してしまいました.正しくは油揚げではありませんが,やられました.
 オカズを一通り食べ終わり,あとは漬物とご飯が少し残っているという段階まで来ていて,弁当箱を手に持って漬物一片にご飯このくらい,とか思いながら食べていると,ドサッと何かが落ちてきて,弁当箱が転覆!
 何が起こったか分からず,一瞬,呆気にとられていると,眼前の海面すれすれから上昇していくトビの姿がっ!
 鳶に油揚げ.トビによる空襲.やっと事態を理解して,飛び去るトビに注目すると何かを掴んでいる様子はなく,転がったご飯と(漬物が入っていた)アルミ箔は地面にありました.ヤツは何を狙ったのか? 弁当箱を地面に置いている間は攻撃できないのでチャンスを待っていたのでしょうか? 弁当をひっくり返すと,ヒトは放棄していく事を知っていて,残ったご飯をせしめる作戦なのでしょうか?
 もったいないのと,悔しいのとで,ちらばったご飯をつまんで海に投げ込み,魚の餌になってもらいました.まんまんちゃんあん.残っていたのはほとんどご飯だけ,損失はカロリーで2割程度,価格にすると1割くらいで済みました.満腹感,満足度は8割減です.そもそもこの弁当,ミックスフライ弁当なのにソースもタルタルも,もちろん醤油も入ってませんでした.おそらく入れ忘れです.そのおかげでご飯が残り気味だったのです.そういえば会計のときに店の外の自販機で買ったペットボトルのお茶の代金を二重取りされそうになったし(申告して回避),とことんツイてない弁当でした.
 弁当ガラは駐車場のゴミ箱へ.そのゴミ箱には頑丈で重い木の蓋がのせてありました.なるほど,ここではよくある事なのか?
 数年前,房総半島だったかで,弁当を狙うトビがいる事が話題になったと思います.テレビで見ました.いまどき観光地のトビはどこでもこうなのかもしれません.観光地の空襲トビの分布,だれかデータ取ってるのかなぁ?
 松枯れが解決したら,トビ対策をやってください.漂着アマモの撤去はほどほどにしてください.>観光協会御中



天橋立のトビ

 完全に脱線した事を書いてしまいました.


期待どうりの大発生

 冬のうちにロケハンを済ましている(オイオイ「敗退」やろがっ!)ので,今度(6/6)は一番良さそうだった場所へ直行しました.砂浜の奥行きがあるところです.冬には波打ち際から平坦な砂浜,林縁にかけていろんな状態のアマモが転がっておりました.ところが今回は内陸のものが目立たず,波打ち際だけにけっこう溜まっています.
 まさかこんなトコにはねぇ? と思いつつ,波が来る所から1mほどの所,大波が来たら今にも持って行かれそうなアマモの堆積をめくってみました.そして下の砂を浅く掘って篩うと,いきなりゲット! すごいテネラル.
 よく見ると一杯目で篩いの底に3匹入っていました.空想(上記)なみにたくさん居るようです.色はみんな薄いです.ご期待どうりの大発生.うひょひょ〜



天橋立の漂着アマモ

 どう見ても新成虫です.だとすると,ここで羽化したのか? どこか他所で羽化し速攻で新漂着アマモに殺到しているのか?
 はじめは前者かと思い,半埋まりのアマモが良いのかと思いましたが,そうではなく,砂の上に載っているだけのアマモの,その下に種子やら破片やらごちゃごちゃある辺りを少し掘って,湿り始めた辺りで入るようでした.食べてるのか避暑してるのかは分かりません.後者,つまり羽化したての虫がアマモにたかってくるのではないかと思います.
 砂上に転がっているアマモについていないか揉んでみたり,アマモの下の小さなゴミの間に紛れ込んでいるのではないかとルッキングしてみたりしましたが,見つかりません.やはり,アマモの下の砂です.漂着,堆積している植物種子が何種かあって,色艶や形が似ているものもありました.虫としては,それなりに擬態できているのかもしれません.



歩行実験中のハマベゾウ

 採った虫を何もない砂の上に放置してみました.しばらくは動きません.ゾウムシ生活の基本テク「擬死」はできるようです.やがてジタバタし始めますが,起き上がるのはへたです.歩くのは結構うまく,砂を掻き分けるようにして歩きます.平坦な砂上では潜ろうとしませんでしたが,砂のギャップみたいなところに出くわすと頭を突っ込んで潜ろうとします(後に飼育状態で急速潜行をみましたが,本気を出すとかなりのスピードで潜れます).
 ためしに海水に浮かべてみました.浮きます.ジタバタしませんでした.

 採集に使った篩いの目の粗さは2mm(0.5mm針金が2.5mm間隔)でした.ハマベゾウは,網目に潜り込むと通過できます.このため小形個体を気づかずに篩い落としてしまう可能性は高いです.篩い残った個体も上から摘まむよりは押し込んで下で受けたほうが取り上げやすいくらいでした.ちょうどハマベエンマムシみたいな感じです.
 なお,ハマベゾウが採れた場所でヒョウタンゴミムシも数匹採れました.そんな感じの水際度(?)でした.


足はコガネで腹はハムシ

 ハマベゾウは脛節に特徴があります.外にギザギザがあり,前脛節は先端付近外側が張り出して尖っています.後脛節端の外室が広く,カゴ状です.脛節外側がギザギザになるのはゾウムシ的には反則技ですが,砂の虫なので仕方ありません.付節もゾウムシらしくなく,普通のゾウムシでは第1〜3節が次第に拡がるのですが,ハマベゾウの後脚付節は先細りです.要するに全体的にコガネムシ的な感じです(距棘はありません).



ハマベゾウの♂(左)と♀(中)背面および側面(右),スケールは1mm.



ハマベゾウの下面,前脛節上面,後脛節端下面

 変な足のおかげで,最初はキクイゾウの仲間と考えられていましたが,現在はヘンテコゾウ(*)の仲間とされていて,AZ&Lの体系でいくと,Subfamily Cyclominae の Tribe Rhythirrinini, Subtribe Emphyastina に含まれます.亜科にも族にも,もちろん亜族にも決まった和名がありません.ここではとりあえずヘンテコゾウムシ亜科(*).日本にはあまり居ない仲間です.
 日本産のものでは,ヤサイゾウが同族の別亜族に,チビクチブトゾウ類が同じ亜科に含まれるだけです.チビクチブトゾウ類,Tivicis 属は,カシワクチブトなどのいわゆる”クチブトゾウ”とは全く別のグループで,小さいくせにマッチョな体形に力強い脛節を備え,大型種なみの重厚な表面構造をまとっています.日本のゾウムシの常識から外れた,へんてこなゾウムシです.詳細はMorimoto(1983)に図示,解説,論議されています.



チビクチブトゾウ類(ヘンテコゾウ亜科(*)

 AZ&Lのリストを見ると,この亜科はほとんど南半球というかゴンドワナの虫です.族〜亜族レベルでそれぞれオーストラリア区だけとかエチオピア区(アフリカ)中心とかになっている感じです.新熱帯区(南米)が地盤の亜族もあり,ブラジル原産の侵入種,ヤサイゾウもその一種です.



ゴンドワナ出身のヤサイゾウ(ヘンテコゾウ亜科(*)

 ハマベゾウが含まれる Subtribe Emphyastina はオーストラリア中心に6属からなっていますが,うちの2属が太平洋に進出しています.アラスカまで行ってるのもいますが,日本海まで来たハマベゾウも最先端です.彼らは自力で来ているわけで,(おそらく)人に運ばれてきたヤサイゾウより尊敬に値しますね.
 ハマベゾウの分布域は知られた当初は伊勢湾限定でしたが,実際は結構広いようで,保育社の甲虫図鑑(林ら,1984)では九州も追加されていますし,北海道や中国(青島)にもいるそうです.韓国の図鑑(Hong et al., 2000)にも載っています.宮津など日本海沿岸で見つかること自体は不思議なことではありません.

 採った時に気になったのですが,明るい色の個体にまじって,やや暗い色の個体がいました.濃い色の個体は中央部分がさらに暗い色をしています.明るい色のものは非常に明るく,他の種ならまだ蛹室にとどまっている段階のように思えました.
 帰って標本に作っていると,付節を欠いている個体が少なくありませんでした.また,脛節をはじめ足がかなり削れているのがいました.
 それと,色の薄さが何か普通のゾウムシと感じが違います.明るい色のものは体の中が透き通って乳白色に見えているようです.しかも翅鞘の下がそのまま乳白色です.暗い色のものは翅鞘の下が空間になっているみたいです.たくさん採れたので,二匹バラしてみました.



ハマベゾウの膜質の後胸背面〜腹部背面

 まず,色の薄いほうの翅鞘を取ってみると… 丸出し! というくらい,腹部の背板が透明です.乳白色の体内が丸見え,背面はほとんど全面膜質です.幼虫の皮膚でもあんなに薄くはありません.幼虫の場合は中身は筋肉が縦横に走っていて,表面はモコモコしています.ところがこの虫のこの部分の場合,膜質の中身は単にぶよぶよの組織が詰まっているだけです.
 腹部背面だけでなく,後胸の背面もほぼ透明の膜質です.後翅は跡形もありません.
 左右の翅鞘は細くつながって一緒に外れましたので,小盾板あたり中胸背面は多少硬化した部分があるようです.背側がゆるゆるな反面,腹側はカッチリしています.特に後胸と腹部腹板が強く組み合わさっていて,外れにくいです.多くのゾウムシでは腹部腹板を突き上げると翅鞘が開いてバラしやすくなるのですが,この虫はそういうことがありません.

 この薄い色の個体は腹部は乳白色の組織(脂肪?)で満タンに膨れていました.この光景からクルミハムシを連想しました.ただ,クルミハムシの場合,自然状態で扁平な翅鞘が持ち上がっているため側面が丸見えになるわけですが,ハマベゾウの場合はキッチリ翅鞘におさまっていて,通常は見えないのです.
 消化管は活発に活動しているらしく,暗色の食物が通っていました.特にそ嚢が食物で大きく膨らんでいました.よく食ってます.この個体は♀で,貯精嚢は硬化していましたが,卵巣など生殖器官の各部分は区分できませんでした.未成熟なように思えます.
 暗い色の個体の翅鞘をはずしてみると,後胸から腹部にかけてぺちゃんこでした.予想どうり翅鞘の下はがらんどう.後胸から腹部の背面は膜質で,ほとんど腹板に貼りついています.これをはがすと,正中線にそって♂交尾器が納まっているだけです.消化管は目立ちませんでした.極端な生活をしているようです.
 色の明暗は性差ではなく,明るい色の♂も居ます.


生活史?分布?

 まぁ,採れたから良いのですが,どうも不思議です.採れるだけでは納得できないというか…

 ハマベゾウの生態に関する情報はわずかです.某月刊誌の巻頭に虫屋がそれぞれ一つの虫について書くという「今月のむし」があって,ハマベゾウが取り上げられています(中村,1995).これて,編集部の人が書いてるし.岩手県の二ヶ所での話です.それを読むと,どうやら成虫は夜行性のような感じです.
 また,某BBSに伺いを立ててみたら,瀬戸内(四国)でも採れているとか,某大先生は成虫がみられる場所なら幼虫も見つかるのではとアドバイスされているとかいう話でした.

 《重要な文献(森本,1993)を見落としていたのを後で気づきました.これによるとハマベゾウは成虫,基本的には幼虫とも砂中に埋もれたアマモの層に棲息し世代を繰り返しているようです.》

 天橋立での感じでは6月上旬のハマベゾウは摂食のために漂着アマモに襲来しているようです.ここではアマモは波打ち際に溜まったままなので,結果的にハマベゾウもそのあたりにいるのでしょう.産卵はまだ先のようです.どこでどのように?
 古い個体が少し混じっている事から推測すると,これが旧世代の生き残りでしょう.新世代は浜で食べまくったあとほぼ一年をやりすごし,来年の4〜5月に産卵,そして速攻で成長羽化,という感じがします.あるいはアマモも秋に落葉し,漂着も多いので,その頃に産卵するのかも.そもそも今分かっているのは成虫がアマモを食べるらしいという事だけで,幼虫もアマモに依存するとは限りませんしね.

 生かして帰った4匹を飼ってみました.乾燥した砂の上だと歩き回っていましたが,砂の一部を湿らすと落ち着き,砂に潜ったり,アマモの下にひそんだりしていました.二日後に掘ってみると底(深さ2cm)まで潜っているものもいました.掘り当てると動きません.きっちりポーズをとるクチカクシゾウなどに比べるとハマベゾウの擬死は脚の縮め方がだらしないので,飼育者的には本当に死んだように見えます.要注意です.
 ときどき霧を吹いて砂やアマモを湿らせたりしていたのですが,一週間ちょっとして,乾きすぎているのに気づいて検めてみると,亡骸が6つ.二匹は餌のアマモから羽化脱出したようです.しばらく疑っていましたが本当に死んでいました.

 採集成功の一週間ほど後(6/14),もう一度行ってみました.
 やはり今度は虫の色が暗くなっていました.それに居るところの密度が濃いです.つまり前回は出始めだったわけです.密度が濃いので埋まり具合を確かめつつ指でちまちま掘ってみました.居そうなアマモの堆積を見つけて下を掘ると,表層では乾いている砂が3センチくらいから湿っており,そのあたりからハマベゾウが出土するようになります.深いところでは10センチくらいでも出ました.しかし,乾いた層でも全く出ないわけではありません.
 前回は気づきませんでしたが,砂の中には植物遺骸が結構混じっているようです.浜辺ではアマモが線状に溜まっているのが見られますが,過去の分も同様に線状に埋まっているようなのです.そのようなところに虫が混じっています.

 海岸にはまだ緑色のアマモの葉が次々と漂着しており,よくみると2〜4枚の葉が根元の部分でつながったまま漂流してくるようです.きわめて新鮮な状態です.

 近隣の浜の様子も見てみることにしました.天橋立から東に向かうと,栗田湾ではごく少量のアマモの漂着がありましたが,由良浜(由良川河口左岸),神崎浜(由良川河口右岸)のいずれも,アマモはありませんでした.それぞれ,すこしづつ掘って(あまり意欲的ではない)やはりハマベゾウも見つかりませんでした.浜にはアオサが多く,それなりににぎやかな動物相が見られます.ハマトビムシが多く,カニの穴やニセマグソコガネや,アリジゴクも見られます.逆にいえば天橋立でアマモの分解者が少ない感じがしました.
 あと,天橋立は波が静かで,砂浜の前進や後退が少なそうな事も特異に思えます.砂中で夏眠する虫にとって,1シーズンで何メートルも砂が積もったり,何十メートルも汀線が変化するのは厳しいはずです.ハマベゾウがそうとは限りませんが.



アマモに食いつくハマベゾウ

 虫を生かして帰って,新鮮なアマモを与えると,よく食べました.葉縁に馬乗りになって食べます.表面を食い破って中身を食べるらしく,葉に穴があいたり葉縁が削れたりするとこはなく,食痕はあまり目立ちません.部位としては葉の根元の枝分かれした部分を好むようです.この部分は緑色が薄く,鞘状になっています.そこへ潜り込んで食っています.
 14日に採集して,活発に食っていた個体を18日に解剖してみました.活動している個体は消化管だけが黒っぽく,外から見えます.成虫なのに.特に裏面を見ると腹部を横切る線が透けて見えています.翅鞘をめくると,例によってぷくぷくに膨らんでいて,背板は膜質で透明です.白っぽいモロモロの組織で埋まっていますが,♂では交尾器がきちんとキチン化しており,♀では大きな卵(長径0.40mm)が見出されました.すぐにでも繁殖しそうな雰囲気です.
 しかし,餌の間にでも産みこんでいないかと探してみましたが,卵は見つかりませんでした.もし砂の中に,とかだったら見つけようがありません.でも,幼虫が餌に食いついていたら分かりそうなものです.…結局,卵も幼虫もわからずじまい.



ほぼ成熟した卵

 アマモの分布はかなり研究されていて,たとえば舞鶴湾には1993年時点で生えている所があったようですし,久美浜湾にもあるようです.次の週(6/21)は久美浜方面に行くことにしました.久美浜は宮津から直線距離で30キロほど西の海岸線ですが,その間には入り組んだ丹後半島があります.
 今年(2004年)はどういうわけか6月に台風が近畿を直撃.淡路島の西をかすめて明石に上陸し,福知山を通って若狭湾へ抜けたその日です.他の山にちょっと寄ったあと,久美浜付近の海水浴場を数ヶ所めぐることにしました.久美浜には「小天橋」という景勝地があり,海水浴場になっています.この「小天橋」にはホモニムがあります.上述の天橋立のうち,手前の回転橋を「小天橋」,メインの砂嘴へ渡る橋を「大天橋」というのです.ややこしいです.で,まず小天橋海水浴場へ行ってみると風雨はさほど強くなく,晴れ間も見られました.アマモは上がっていませんでした.「京丹後市」ができていて,久美浜町は弥栄町,丹後町,網野町,大宮町,峰山町と合併したそうです.
 箱石浜,浜詰,五色浜(これは磯)ともアマモは漂着していませんでした.この日はどの浜にもやたらとハリセンボンのミイラが転がっていて,奇怪でした.


ハマベゾウは観光資源になり得るか?

 ハマベゾウを飼っていると新鮮な餌が不足してきたので,6月28日にまた行きました.海開き(7月1日)直前です.ところがポイントに着いてびっくり.波打ち際が轍でぐちゃぐちゃです.しかもキャタピラ! 海開きに備えて海岸の掃除をしているのでした.そういえば途中に砂の堆積がありました.
 この日は海水浴場での採集をあきらめて,餌を拾うだけにしました.帰りに堆積のところで写真を撮っていると,軽四トラックが砂というか砂交じりのゴミを捨てに来ました.主成分は漂着アマモです.捨てたての砂に虫が居ないかさがしましたが,ハネカクシが採れたくらいでハマベゾウはゼロ.そうこうしていると今度はキャタピラつきの砂浜清掃車両がやってきました.立派というか近代装備というか…想像していた以上に大規模で組織的な浜掃除です.一通り見物した後,清掃範囲に掛かってないらしい場所で掘ってみると一匹出たので少し安心しました.結局その一匹だけで,発生時期も終わりかけている感じでした.



砂浜清掃車両とゴミの山(ほとんど漂着アマモ)

 採集道具を洗っていると掃除帰りのおっちゃんと遭遇しました.この浜にはかなり珍しい虫がいて,その生態が分かってないけれども,流れ着いたアマモで殖えるらしいので調べているのだ,白砂青松もだがこのアマモが流れ着く事じたいが貴重な天然現象なのだと説明.一応聞いてくれたはりましたが.

 お金をつぎ込んででも快適な海水浴場を整備する.これは仕方ないというか,観光地として当然の事なのでしょう.それは分かります.毎年7月20日には『炎の掛け橋』なるイベントが行われているようです.砂浜に一列に灯をともす行事です.
 一方で,藻場のある海やアマモが漂着する浜,アマモにいるゾウムシは貴重なものでもあります.今のところ,このアマモ処理や火の列がハマベゾウの生息に対してどう作用しているかは,もちろん,わかりません.ゾウムシの個体に対しては厳しい感じの作用に思えますが,適度な撹乱がある事で案外,個体群の維持や安定には好都合なのかもしれません.ただ,どちらにしても無頓着で良いのか?という気はします.
 海水浴場はいくらでもあるけれども,天橋立ほど微妙なバランスで成り立っている地形は珍しいし(だからこそ日本三景だし),ハマベゾウが生息する厳しい条件がこれほど整っている場所も珍しいのです.
 十年後,二十年後,この虫はどうなっているでしょうか?

  1. 藻場維持の新技術や資金が投入され,限定的な藻場はなんとか守られるが.アマモ漂着量は減少し,浜辺の整備とあいまって天橋立の個体群は人知れず絶滅してしまう.
  2. 天橋立のハマベゾウはレッドデータ種,天然記念物になって観光資源になる.一方で採集が全面禁止となり詳しい生態は未知.飼育のノウハウも得られぬまま.保護の為についた予算を使い切るために毎年無駄な工事,有害な工事が繰り返され激減.慌てて短絡的な保護策を講じるが室内飼育さえできず絶滅してしまう.

というのが,ありそうなパターンです.先に触れた岩手県の事例(中村,1995)でもその後の危機的な状況が述べられています.

 ご一考を.>この頁を見てくださった天橋立を愛する皆様


”ヘンテコ和名問題”勃発

(2008年加筆)

 ハマベゾウを採集した勢いでこの頁を立て(2004),関連した群のことを書き加えて, Subfamily Cyclominae に,とりあえず「ヘンテコゾウ亜科」と和名を振っておきました.もともと寄せ集めっぽい亜科なので代表的な亜群の名前をフィーチャーするのもなんだし,どれもこれも日本のゾウムシの常識からするとかなりヘンテコだし,群全体を指すには「へんてこな」は,きわめて適当な表現ではないかと,今でも考えております.
 外国産のものがどんどん入ってきて,次々に和名をつける必要がある昨今,こういう事態はいろんな所でいろんな規模で起っているようです.2007年末に出た印刷物で「ヘンテコゾウムシ亜科」が活字になりました.編者の責任として,いちおう既出の和名を検討した上で,という姿勢だったのでしょう.多少の躊躇があったのか,最終的に特に問題と判断されなかったのか,事情は知りません.この頁に挙げている和名が採用されています.

 しかし,人によって「へんてこ(変梃),へんちく」「〜りん」は軽薄な,口語的な,ふざけた語であり,奇をてらった命名だとの印象を抱かれるようです.その立場にたてば,事は本亜科の一件にとどまらず,他にも同様な低俗和名が追随することも懸念されるわけです.
 以前から日本産の昆虫の上位分類群の和名をチェックしている方の一人がその活字版を見て「ん?」と思って著者に連絡,芋づる式にこの頁が”元凶”と突き止められてしまいました(て,もともと三人とも知り合いですけど).で,和名の選定を含め記載分類学が地道でまじめな営みであることを示す意味で,その和名はやめておいた方がよいのでは?という忠告をいただいたわけです.

 リスト編纂者は,理想として,名前が一つ,名前と実体が一対一対応であることを望みます.名前が複数ある場合は「主」と「他」を区別し,別称にも対応できれば完璧です.その極致が分類学的再検討論文における学名のシノニミックリストです,著者による綴りの違いや誤植を区別し,それぞれの使用文献を網羅.う〜んコレクター.
 でコレクター,ではなくてリスト編纂者の発想としては主な和名が「アマモ」で,別名として「リュウグウノ…」もアリだろうと思います.許容というよりじつは大歓迎で,「トゲアリトゲナシトゲトゲ」なんかも大好きなのだろうと想像されます.
 また和名の場合,編纂者の立場は,不適当だと思う名前が出現した場合,十分な理由があれば,自ら他の名前を提唱して置き換えることも可能です.でも編纂者としての客観性,中立性を保つために,介入はしたくない,という意識も強いでのです.今回の「ヘンテコゾウ」の場合,一個しかなければ採用せざるを得ないが(困)… という事だろうと推察します.
 そこで考えました.元凶の頁を加筆改訂です.別名案を幾つか挙げて,参照者や目録編者の選択に任せることにします.筆者(沢田)としてはちょっと反省しつつも,印刷原稿に採用してくれた方への仁義もあり,取り下げるわけにも行きません.梯子を外さずに何本も架ける戦術で対処します.

 ではまず正攻法としてタイプ群(Cyclomus属)の和名を継承する手を検討.といってもこの属の種(南ア産)の姿形,生態 … ぜんぜん分かりません.ウェブで検索しても出てきません.手許にある情報は19世紀前葉の原記載のみ.口吻は短く,上溝的な触角溝があり,なで肩で厚みのある虫のようです.付節は細く足裏はスポンジ的になっていません.頭の中にうっすらと想像図 … ハマベゾウはわりと似た感じかも … でも日本人目線でほとんど関わりのない種や属なので,和名の付けようがありません.ヨソゾウ,ハルカゾウ,カナタゾウでしょうか? ナゾゾウかも.
 日本人生活の中で遭遇頻度が高いと思われる「ヤサイゾウ」を代表と考えてこの種の和名を継承,ヤサイゾウ亜科にしておくのも一つの方法です.しかしこの場合「ハマベゾウやチビクチブトゾウがヤサイゾウごときに!」という違和感が残ります.この問題,「親ハマベ・チビクチブト派」と「親ヤサイゾウ派」の闘いでもあるのです(オイオイ).応用的,経済的にはヤサイゾウが重要な種でしょうが,自然史的にはハマベやチビクチブトが注目に値する群です.ゾウムシ屋の多くはたぶん親ハマベ・チビクチブト派です.市町村合併は許すとしても,隣村の名前を使わされるのは断固拒否なのです.ヨセゾウ,マゼゾウ,モメゾウ,コジレゾウ.
 上記の忠告とともに,和名を付けにくかったら学名(タイプ属名)の直訳ではどうか,との意見を頂きました.Cyclomus Schoenherr, 1823 の実際の記載は Schoenherr(1826) に載っていて,語源が明記されています.κυκλοσ(円,輪,球,回転)+ωμοσ(肩)だそうです.ナデガタゾウ,マルカタゾウ,カタマルゾウあたりでしょうか? 親ハマベ・チビクチブト派もこれなら妥協.でもヤサイゾウは「怒り肩」なんすねぇ,これが.

 「福岡」vs「博多」は市議会同票で議長採決だったとか(1890).オーストラリアではシドニーとメルボルンでもめて,間をとって首都をキャンベラに定めたそうです(1908).竹富町の役場は竹富島でも西表島でも黒島でもなく石垣島,石垣市にあります(1938).
 地球の裏側からやってきた多彩なゾウムシの寄せ集め,竜宮城からの採集例はありませんが,リュウグウゾウ亜科ていうのはどうでしょう?


文献

(年代順です.◆印は未見)
Schoenherr, C. J. 1826. Curculionidum dispositio methodica. Lipsiae. Fleischer. 338pp.
Chujo, M. & E. Voss, 1960. Neue Curculioninen-Subfamilie, -Gattungen und -Arten von Japan (Coleoptera, Curculionidae). Mem. Fac. liberal Arts & Educ., Kagawa Univ., II,(94):1-17.
佐藤正孝.1974.昆虫の世界,保育社,大阪,152pp.
Morimoto, K. 1983. The Family Curculionidae of Japan. II. Viticiinae Ssubfam. nov. Esakia, (20): 55-62.
林 匡夫ら. 1984. 原色日本甲虫図鑑(IV),保育社,大阪,438pp.
中村裕之.1995.今月のむし,月刊むし,(296): 1.
Alonso-Zarazaga, M. A. & C. H. C. Lyal. 1999. A World Catalogue of Families and Genera of Curculionoidea (Insecta: Coleoptera) (excepting Scolytidae and Platypodidae). Entomopraxis, Barcelona. 315pp.
Hong, K. J. A. B. Egolov & B. A. Korotyaev. 2000. Illustrated Catalogue of Curculionidae in Korea (Coleoptera). Korea Res. Inst. Biosci. Biotech. & Center for Insect Sys. 337pp.
森本 桂.1993.海辺の甲虫概説,昆虫と自然,28(11): 2-6.
鎌田邦彦.2000.法律家の昆虫学 第11回「ハマベゾウムシ」,環境と正義虫,(29): ??-??.◆
吉武 啓.2002.採集会ドキュメント,象鼻虫,(1): 15-31.

沢田佳久